ハチといえば秋田犬を思い出す人も多いと思うが、そのハチの故郷である秋田には、もう一つの「ハチ公物語」があることをご存知だろうか?
秋田県大館市葛原の山腹にある「老犬神社」に定六という名のマタギと、飼い犬シロの伝説が残されており、今もなお地元の人々に語り継がれているという。
その伝説とは―。
昔、鹿角市大湯に定六というマタギがおり、シロという名の猟犬を飼っておりました。定六は、先祖の功によって領主から天下御免の狩猟免状(領内だけでなく、寺社内でも猟が認められた書状)を与えられており、シロは狩猟のよき協力者でした。
ある寒い夜のこと、定六とシロはカモシカを追い、鹿角境を越え三戸城の近くまで行きました。しかし獲物を見失った定六は、城に向かって発砲してしまい、その罪で投獄されてしまいます。普段であれば狩猟免状を持っている定六でしたが、この時は運悪く家に免状を忘れており申し開きをすることができませんでした。
捕らわれの身となった定六はシロに免状を取ってくるように頼みますが、家に戻ったシロがどんなに吠えようとも、妻にはわかるはずがありません。
それでも、シロは休むことなく雪の中、遠く離れた定六と家とを往復し、免状の置き場である仏壇の下で激しく吠え続けました。ようやく事を理解した妻が、免状をシロのクビに結びつけます。そしてシロは定六のもとへと駆け戻りますが、残念なことに定六はすでに処刑された後でした。
その夜以来、森の山頂からは幾夜、幾日となくシロの悲しい咆哮が三戸の城下に響き渡るようになりました。そしていつからかシロの姿は見かけられなくなり、ある日、白骨化した死骸が近くの丘で発見されました。
それからというもの、この丘の近くを武士が通りかかると馬が突然暴れだし大怪我をするということが幾度となく繰り返されたため、村人は主を殺した武士に対するシロの怨念だと恐れ、供養の意味を込めて山腹に神社を建て、シロを祀りました。
現在では、定六と猟犬シロの伝説は地元の人を始め、秋田犬保存会等により、広く紹介されており、また、毎年シロの命日である4月17日に行われる老犬神社の祭典には、多くの参拝者が訪れている。昔、昔の犬の伝説でありながら、40名以上の参拝者が訪れているとのこと。それは定六とシロを思う人々の心の表れだろう。
(Written by 石川陽那)
昔、鹿角市大湯に定六というマタギがおり、シロという名の猟犬を飼っておりました。定六は、先祖の功によって領主から天下御免の狩猟免状(領内だけでなく、寺社内でも猟が認められた書状)を与えられており、シロは狩猟のよき協力者でした。
ある寒い夜のこと、定六とシロはカモシカを追い、鹿角境を越え三戸城の近くまで行きました。しかし獲物を見失った定六は、城に向かって発砲してしまい、その罪で投獄されてしまいます。普段であれば狩猟免状を持っている定六でしたが、この時は運悪く家に免状を忘れており申し開きをすることができませんでした。
捕らわれの身となった定六はシロに免状を取ってくるように頼みますが、家に戻ったシロがどんなに吠えようとも、妻にはわかるはずがありません。
それでも、シロは休むことなく雪の中、遠く離れた定六と家とを往復し、免状の置き場である仏壇の下で激しく吠え続けました。ようやく事を理解した妻が、免状をシロのクビに結びつけます。そしてシロは定六のもとへと駆け戻りますが、残念なことに定六はすでに処刑された後でした。
その夜以来、森の山頂からは幾夜、幾日となくシロの悲しい咆哮が三戸の城下に響き渡るようになりました。そしていつからかシロの姿は見かけられなくなり、ある日、白骨化した死骸が近くの丘で発見されました。
それからというもの、この丘の近くを武士が通りかかると馬が突然暴れだし大怪我をするということが幾度となく繰り返されたため、村人は主を殺した武士に対するシロの怨念だと恐れ、供養の意味を込めて山腹に神社を建て、シロを祀りました。
現在では、定六と猟犬シロの伝説は地元の人を始め、秋田犬保存会等により、広く紹介されており、また、毎年シロの命日である4月17日に行われる老犬神社の祭典には、多くの参拝者が訪れている。昔、昔の犬の伝説でありながら、40名以上の参拝者が訪れているとのこと。それは定六とシロを思う人々の心の表れだろう。
(Written by 石川陽那)