今でこそ多くのお店で販売され、ブランド卵として、多くの方に知られている「ヨード卵・光」だが、1976年の発売当初は苦難に満ちていた。
「ヨード卵・光」は、卵にヨードを移行させ独自の働きを持たせるという、普通の卵とはまったく違った新しい商品。そのため、従来とは異なる形で販売することにしたのだ。ひとつは卵に「ヨード卵・光」とネーミングをしたこと。そしてもうひとつは、安心して消費者に買ってもらうために、相場変動で価格が上がったり下がったりしないよう、固定価格(6個入り300円)を導入した。
しかし、当時は1個50円という価格は、「そんな高い卵は売れるはずがない」と取り扱ってくれるお店が見つからない状況が続いた。そこで、いったいどんなお店だったら扱ってくれるだろうかと考えた。八百屋、肉屋、ケーキ屋、米屋、スーパーなど、手当たり次第にお店を廻り、販売スタッフが、紙袋に「ヨード卵・光」のパックを詰めて、「これまでの卵とはまったく違う新しいコンセプトの卵です。ぜひ置いていただけませんか?」と、小売店1軒1軒を交渉して廻るという日々を続けた。時には、東京の山手線に乗り、1駅ずつ降りて駅前のお店に片っ端から跳び込んでの販売活動を地道に行った。この“駅前作戦”は、もし駅前のお店に「ヨード卵・光」を置いてもらえれば、すぐには売れなくても、多くの人の目に留まり認知度は上がるはずだという広告効果を狙ったものだ。こうした努力の結果、徐々にお店で置いてもらえるようになってきた。
そうした中、決定的だったのが週刊ポストに話題の卵として「ヨード卵・光」が紹介されたのだ。同誌が発売されるやいなや問合せの電話が殺到し、これをきっかけに、一気に販売網が広がっていった。
その後も、毎日の食事の中で幅広く料理に使える栄養豊富な「ヨード卵・光」の魅力を伝えるため、新聞・雑誌・テレビなど広告宣伝活動に力を入れた。とくに1983年からコメディアンの東八郎さんを起用したおでこに「光シール」を貼るCMシリーズは、子どもたちにも大ウケで、「ヨード卵・光」の知名度を飛躍的にアップさせることとなった。
こうして「ヨード卵・光」は、発売から33年が経つ現在でも、ブランド卵でトップのシェアを誇るロングセラー商品となっており、ずっと最高級の品質を維持している。まさに企業努力の賜物だろう。
しかし、当時は1個50円という価格は、「そんな高い卵は売れるはずがない」と取り扱ってくれるお店が見つからない状況が続いた。そこで、いったいどんなお店だったら扱ってくれるだろうかと考えた。八百屋、肉屋、ケーキ屋、米屋、スーパーなど、手当たり次第にお店を廻り、販売スタッフが、紙袋に「ヨード卵・光」のパックを詰めて、「これまでの卵とはまったく違う新しいコンセプトの卵です。ぜひ置いていただけませんか?」と、小売店1軒1軒を交渉して廻るという日々を続けた。時には、東京の山手線に乗り、1駅ずつ降りて駅前のお店に片っ端から跳び込んでの販売活動を地道に行った。この“駅前作戦”は、もし駅前のお店に「ヨード卵・光」を置いてもらえれば、すぐには売れなくても、多くの人の目に留まり認知度は上がるはずだという広告効果を狙ったものだ。こうした努力の結果、徐々にお店で置いてもらえるようになってきた。
そうした中、決定的だったのが週刊ポストに話題の卵として「ヨード卵・光」が紹介されたのだ。同誌が発売されるやいなや問合せの電話が殺到し、これをきっかけに、一気に販売網が広がっていった。
その後も、毎日の食事の中で幅広く料理に使える栄養豊富な「ヨード卵・光」の魅力を伝えるため、新聞・雑誌・テレビなど広告宣伝活動に力を入れた。とくに1983年からコメディアンの東八郎さんを起用したおでこに「光シール」を貼るCMシリーズは、子どもたちにも大ウケで、「ヨード卵・光」の知名度を飛躍的にアップさせることとなった。
こうして「ヨード卵・光」は、発売から33年が経つ現在でも、ブランド卵でトップのシェアを誇るロングセラー商品となっており、ずっと最高級の品質を維持している。まさに企業努力の賜物だろう。