
大入道山車の由来は古く、一説では文化2年(1805)に作られたともいう。
名古屋のからくり人形師である竹田寿三郎と藤吉の親子がメインとなって制作されたとの資料もあるそうだ。当時、尾張を中心とした東海地方ではからくり人形の制作が盛んで、今でも当時の多くのからくり山車が残されている。
では何故、これほど巨大なからくり人形が誕生したのだろうか?
この地方の言い伝えでは、化けダヌキ達が出没してはイタズラをして人々を驚かせていたため、逆にその化けダヌキ達を驚かすために作られたというのである。タヌキが大入道に化けたところにこのからくり大入道が現れ、対抗しようとしたタヌキがさらに大きく化けたところで首を伸ばして追い打ちをかけるという作戦で、さすがのタヌキもその首の動きにはビックリして退散したそうだ。
だがその一方で、この大入道も現在まで平穏無事に過ごしてきたわけでもない。
かつてはこの大入道と共に、30数基の山車や練り物が四日市祭に登場していたが、太平洋戦争の戦災によって他の多くの山車が失われ、大入道山車自体も疎開していた主要部分はなんとか戦禍を逃れたが、多くの貴重な資料などはその時に失われてしまった。またその後も伊勢湾台風での浸水などもあり、何度も危機を迎えてきたのだが、それでも大入道が現在までその姿を残し続けてきたのは、地元の人々の努力があってのことであり、愛と誇りに支えられてきたからだろう。
そして現在でも、四日市の祭りでその勇姿を見ることができ、四日市市のマスコットである小入道くんや駅前商店街の大入道を模した通称『中入道』など、様々な形で地元の人々の心に息づいているのである。
暴れ回るタヌキを撃退した巨大な勇姿は、当時の人々には心強く映り、それが今もなお生き続けているのだろう。この大入道はまさに、江戸時代に現れた人々を守る巨大ロボットだったのだ。
写真提供:四日市市教育委員会
(Written by 青山鉄平)
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