20090922_01ラジオと音楽は切っても切れない関係である。
電リクやランキングといった番組はもちろんのこと、WEBもCS放送も着うたもなかった時代、新曲を初めて聞く機会は圧倒的にラジオが多く、全く無名のアーティストの曲がラジオから火がつきブレイクした……。そんな例も数え切れないほどある。

40年以上続く深夜放送の代名詞「オールナイトニッポン」も、番組当初は音楽中心のプログラムだった。局アナ中心だった同番組も、時が経つに連れタレントやミュージシャンをパーソナリティに起用。そのうちにユーザーは「音楽」より「トーク」を求めるようになる。
1980年代のオールナイトニッポンも、芸人やアイドル、ミュージシャンやタレントがトークとリスナーのハガキを中心とした構成ばかり。
「トークはAM、音楽聴きたきゃFM局」。
そういった風潮の中、1987年秋にスタートした「辻仁成のオールナイトニッポン」は、トークよりも音楽を重視した番組構成だった。

「こんばんはDJの辻仁成です」から始まる番組は、仁成独特のノリで、いつも同じ台詞をまくし立てる。
「真夜中のサンダーロード、今夜も押さえきれないエネルギーを探し続けているストリートのロックンライダー、夜更けのかたい小さなベッドの上で愛を待ち続けているスイートリトルシックスティーン、愛されたいと願っているパパも、融通の利かないママも、そして今にもあきらめてしまいそうな君も、今夜はとびっきりご機嫌なロックンロールミュージックを届けよう。アンテナを伸ばし、周波数を合わせ、システムの中に組み込まれてしまう前に、僕の送るホットなナンバーキャッチしておくれ。愛を!愛を!愛を!今夜もオールナイトニッポン」
ともすれば「クサイ」、「ダサイ」で終わりそうな言葉を、仁成はマイクの前から照れることなく全力で吐き続ける。リスナーから送られてくるカード(番組ではハガキのことをカードと呼んでいた)は、世の中への不満や悩み、将来への不安が小さな文字でびっしり埋められている。それを読み終えた仁成は、そのカードへのメッセージをトークではなく音楽で返す。

「毎日悩み続けているペンネーム○○さんにこの曲を捧げます」
番組でかける曲は自身のバンドECHOES以外は全て洋楽。
毎週数百通届くカード全てに目を通し、メッセージに合う曲を選び構成を考える。
構成作家をつけず、その全ての工程を仁成自らが行ってきた。
当時の雑誌のインタビューによると、2時間の生放送のために毎週数時間の準備をかけていたという。

仁成からのメッセージは、熱く胸を打つものから、社会への怒り、ちょっとほのぼのしたものから考えさせるものまで。彼の口から放たれる言葉たちを耳で受け、そしてそれらを頭の中で咀嚼している中、今話したトークやカードへのメッセージともいえる音楽が流れる。
洋楽をほとんど聴かないし、英語も全くわからなかったけれど、仁成が紹介する曲は、いつもご機嫌なナンバーばかりだった。
辻仁成のオールナイトニッポンは、1987年10月5日から1989年10月2日まで放送された。

最終回から数日後、新聞の小さな記事を見つけた。
歌手・辻仁成さん「すばる文学賞」受賞。

マイクをペンに持ち替えてからの活躍は……
ここに書くまでもないだろう。

(written by みぞてたかし)

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